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ホロスコープ占いの起源

占星術には欠かせないホロスコープ。

このホロスコープの起源と考えられるのが、古代メソポタミアの「天の前兆占い」ではないかと思われます。

この記事ではその「天の前兆占い」についてご紹介していきます。

古代メソポタミアの天の前兆占いとは?

西洋占星術の起源と言われる「天の前兆占い」は紀元前17世紀から18世紀頃の古代バビロニア時代に始まり、盛んになっていきました。

この時代というのはハンムラビ法典で有名なハンムラビ王が政治を担う頃です。

紀元前17世紀のメソポタミア地方は新しい国が生まれたり、長い戦争が起こったりと国を統一しようという動きがあったことも考えると天の前兆占いは国の指針を担う重要な役割があったのではないでしょうか。

天に現れる現象に基づく古代メソポタミアの占いを集めたテキストとして知られる「エヌマ・アヌ・エンリル」と呼ばれる一群の粘土板があります。

この粘土板はだいたい7000枚もあります。

この時代にはすでに7000もの天の前兆占いが検証され、テキスト化され、学問として扱われていた様子がうかがえます。

「エヌマ・アヌ・エンリル」の最初の約50枚の粘土板には、「月」や「太陽」さらには気象についての前兆が書かれています。

また、残り20枚では惑星や恒星が取り上げられ、天体の出入りの速さや位置、大きさ、色、明るさなどが記されています。

この時代にはもうすでに占星術の基礎が確立していたのではないかと考えられます。

紀元前17世紀には金星も観測する技術もあったようです。

この時代の天の前兆占いは、王や国家のためのものであり、個人を対象にしたものではなかったそうです。

占星術はたしかに天文学の難しい知識や計算が必要ですし、庶民が簡単に出来るものとは思えません。

それに、私にはこういった知識を秘匿することで神秘性が増し、王の権威が保たれていたのではないかと思えます。

天文観測を記録した天文日誌

紀元前625年から紀元前61年までの天文観測を記録した「天文日誌」があります。

この天文日誌には月、惑星、二至二分(夏至、冬至、春分、秋分)、シリウスの観測、流星と彗星、気象、物価、川の水位、歴史的な出来事などが取り上げられており、月や惑星の位置を示すために黄道近くの30個の恒星が「基準星」として用いられており、より詳細なデータが記録されています。

この天文日誌には紀元前164年に初めてハレー彗星が観測されたことが記されています。

それほどまでに天文学、天文技術が発展していたんですね。

もちろん、これは占いのためだけではなく、暦を作成するためのものでした。

占いは暦作成の恩恵を授かったのだと思います。

古代メソポタミアでは、太陽と月の動きの組み合わせに基づく太陰太陽暦が使われていました。

また、太陽や月などの規則的な動きだけでなく、月食・日食や彗星などの異常現象にも注目しており、紀元前164年から紀元前163年にはハレー彗星の出現も記録されています。

太陰太陽暦とは

月の満ち欠けを元にして暦の月日が進んでいくが、月の動きでは1年が約354日に対し太陽の動きでは1年が365日と約11日のずれがあり、3年そのままにしておくと約1か月以上のずれが起きてしまい、季節に影響を及ぼしてしまうため「うるう月」を設ける年がありました。
古代メソポタミアの時代は太陽を観測してうるう月を設ける年を決めていたようです。

現在のようなホロスコープ占星術は古代ギリシャの思想を経て完成しますが、古代メソポタミア地方でもホロスコープの原型は誕生していました。

ホロスコープの歴史はとても古いものなのです。

そのホロスコープ占星術の起源についても説明していこうと思います。

ホロスコープ占星術の起源

日本人は幼いころからテレビや雑誌などで太陽星座を元にした星占いに親しんできましたので、つい「私は○○座」というように星座(サイン)に注目してしまいがち。

ですが、西洋占星術の要、ホロスコープの主役は惑星(天体)です。

紀元前3000年紀後期頃には太陽と月はもちろんのこと、水星から土星までの5つの惑星を認識し、それぞれを神とみなしていました。

この時代にはすでに個人天体(太陽・月・水星・火星・金星)、社会天体(木星・土星)をみなした神々を元に特徴づけられていたのではないかと思います。

神々と崇めた星の中でも特に月、太陽、金星が重視されていました。

現在の西洋占星術でも月と太陽は最重要視していますし、金星は恋愛や趣味嗜好を見るのに重要な惑星です。

古代メソポタミアの星座全天体図を直接的に示す資料は発見されていませんが、メソポタミア地方には「クドゥル」と呼ばれる石碑がありました。

クドゥルは境界石という意味で、王からの証書や神々のシンボルなどが刻まれています。

最古のクドゥルは紀元前14世紀頃のものと言われます。

私はこの辺りには星座という概念が生まれていたのかなと推察します。

バビロニアの叙事詩「エヌマ・エリシュ」では天に12の星座を配したくだりが出てきます。

この星座は占星術で用いる黄道12宮(牡羊座や牡牛座などの現在の12星座のこと)の星座とは異なるようですが、当時すでに太陽の軌道を分割する考えがあったようです。

星占いで使われる12星座は太陽の軌道360度を30度ずつ分割してそのエリアを象徴するシンボルの役割を果たしています。

紀元前700年頃につくられたとされるテキスト「ムル・アピン(鋤星)」には、66個の星座が挙げられています。その中には黄道に沿った17個の星座も記されており、黄道12宮の星座の起源と考えられます。

ここでようやく星座(サイン)らしいものが誕生したと考えられますが、現在の黄道12宮になるまで洗練されていくのでしょう。

現存する世界最古のホロスコープは、紀元前410年のものと言われます。

この年の1月13日、そして4月29日に生まれた子供の記録と、その時の惑星のデータと解釈が残されています。

この頃から、それまで王や国家が対象であった星の配置に基づく占いが、個人に対して行われるようになったことがうかがえます。

紀元前のうちに占星術が個人のものになっていたというのはすごいことだと思います。

その時代にはすでに難しい天文知識や計算が出来る環境が出来ていたということですよね。

さらに、獅子座や双子宮、牡牛宮の表現があったので、この時には黄道12宮や星座(サイン)のキーワード・象徴が出来上がっていたことにも驚きました。

ホロスコープの歴史の深さを感じさせられます。

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