占星術の発祥は古代メソポタミアと考えられています。
身の周りの現象や自然の中に神がいると考え、神々の神意を古代メソポタミア人たちは受け取ろうと日常的に様々な占いが行われていました。
その様子も粘土板などに記録として残されていました。
そこには古代メソポタミア人がどのように占い、占いとどう向き合ってきたのかが垣間見えます。
古代メソポタミア人がどんな占いをしていたのか、どんな風に占いと付き合ってきたのかご紹介します。

神の神意を問う占いと膨大な記録
古代メソポタミア人は神々は世界を支配し、人間にいろんな形でメッセージを伝えてくれていると考えていました。
様々な現象は神からの伝言とし、神の怒りである天災や戦争などによる災厄が起こる前に防ごうと自然の現象を常に観察してきました。
自然現象を観察しても伝言が伝わってこないと不安になれば故意に現象を起こし、神の伝言を受け取ろうとしました。
それが占いです。
メソポタミアには様々な膨大な記録が粘土板に書かれています。
商いや金銭の記録や文学作品や行政の記録などたくさんの文書が発見されていますが、なかでも多い記録が占いの記録です。
それほどに占いは当時の人たちにとって大切であり、日常的なものだったのだと思われます。
古代メソポタミアで最も重要視された占いは?
古代メソポタミア人は占星術だけじゃなく、本当に様々な方法の占いをしていました。
そんな中で最も神からの伝言として重視された占いが「肝臓占い」でした。
肝臓占いは神にささげられた供物の内臓の状態で占う方法です。
山羊や羊の内臓、とくに肝臓の色や形を見て未来を読んでいました。
区分で言えば卜占や相占と言われるジャンルになります。
この占いは戦争の前に王の主導のもと祭司がいけにえを捧げて行われました。
ほかにも王が神殿に寝泊まりをして夢から神の声を直接聞こうという夢占いも行われていました。
夢占いをした後に肝臓占いをして、神の神意をより正確に得ようとした記録も残されています。
古代メソポタミア人の占いとの向き合い方
古代メソポタミア人にとって占いは神の神意を知るための大切なものでしたが、占いの結果とどのように向き合ってきたのでしょうか?
占いの結果は常に良い結果をもたらすものとは限りません。
場合によっては不都合な結果になったり、耳障りの悪い結果、不吉な結果になることは何度もあったでしょう。
その時古代メソポタミア人はその結果を指をくわえて待ち受けていたわけではありません。
どうしていたかというと、良い結果が得られるまで占い続けました。
例えば戦争の結果について肝臓占いで凶が出た場合、さらにいけにえを捧げて祈祷してよい結果が得るまで続けました。
おまじないや魔術の儀式も行われました。
人々は占いの結果が実現しないようにと身を清め魔を払おうとしました。
この向き合い方はローマのカエサルの時代でも伺うことができます。
カエサルも肝臓占いをして戦の結果を占っていました。
「ローマ皇帝伝」には皇帝が暗殺される当日に行った肝臓占いが凶を示し、何度もいけにえを捧げて占っても吉兆を得られずにいる様子が描かれています。
余談ですが、現在の占いでは何度も占うことはあまりおすすめできません。
私もよしと思いません。
未来は自分の手で選び創造するものであり、占いはひとつの地図であり、様々ある道の一つを示してくれるナビだと思っています。
ナビ通り進むもよし、ナビに背いて進むもよし
選択するのは自分であると思います。